+bitter tears... の軌跡を作成時の舞台裏も少し入れながら、書いてみました。
1st. 高校2年 17歳 2001年11月30日 open
半年間の不登校から脱し、7月上旬から通い出す。クラスの仲間の輪は
既にできていて結束は固く、孤立。どこにも属せず、居場所は高校棟3F
の非常階段。中3の時に仲が良かった友達もよそよそしく、休み時間が
長く感じた。研修旅行や体育祭などの行事には参加したが、また休み
続けてしまった。友達が次々にサイトを持ち始めた。私も「星月すばる」と
いうHNでexternalなサイトを作り、明るい自分を描こうとした。しかし、
リアルとバーチャルのギャップが激しく、続かなかった。結局、高1から
作り続けていた精神系サイトを編集し、3週間後にbitter tears...を
開設し、落ち着く。
黒背景に白と赤というダークな空間が出来上がった。
2nd. 大検生&受験生 17-18歳
出席日数不足、学力不足で、留年は時間の問題だった。加えて、やっと話せる仲になった子が、引きこもり・不登校の私のことを
(実名は挙げなかったが)、自身のサイトで罵った。またもや人間不信に陥る。それでも自傷はガマンした。私は勉強したいのに、
勉強する環境(=学校)に行けない。ここには、もはや居場所はない。高2の終業式2日前に退学した。経歴(学歴)に無職という
肩書きが付くのが嫌だったので、急いで大検科のある予備校に入学。予備校の教室に行くのも、実はしんどくて、初日は具合が
悪く欠席。教室に入るのが怖い。しょうがなく母親に教室の前まで付いてきてもらう始末。最初は友達もできなくて、さみしくて、
地が出せなくて、教室にいても呼吸が出来なくて、息をするのが苦しかった。休止を考えていたbitter tears...だが、受験期
の限定ページ「戯れ淵」を作り、そこへ対人関係・勉強の行き詰まりのストレスの愚痴をこぼしていった。黒背景から一転、白背景に
赤のスタイルで医療系グロサイトをめざす。自傷の代わりに、文章による自傷をした。苦手分野のフレームページに挑戦。でも、
やっぱり難しかった。(藁
3rd. 大学1年 18-19歳
運良く大検・大学合格を果たす。合格報告仕様のindexはデータ消滅
の為、掲載不可。晴れて大学生になるも、身勝手なグループの友達に
悩み、傷付き、抑えていた自傷が再発。ゴールデンウィーク前にして、
早くも学校が嫌になる。5月病。高まる自殺願望。時とともに、癒され
かけた心がまた侵食されていった。グロいだけじゃなく、デザイン重視
のサイトに憧れた。薬の処方袋をぼんやりと眺めているうちに、お薬
versionを思いつく。白くて、痛い系を突き進む。周りの友達はPCなど
のITに疎く、基礎ゼミでは浮いていた。高校のHRを思い出させるかの
ような40人の授業。何度も消えたくなった。
4th. 大学2年 19-20歳
単位を落とすことなく無事に進級。希望のゼミに入れたのに、なじめない。
男子とも話せない。少しずつ解消していくが、大人数の前でのプレゼンや
飲み会は苦手。荒療治として居酒屋のバイトをするも、空回り。憂鬱な毎日。
世間ではネット心中が次々と起こり、自分もその仲間に入りたいと思った。
限界にキテいた頃に、ある人物に出会う。頭脳、思考、対人、論破、全てに
おいて優れていて、驚くべき1コ上。引かれるのを覚悟で、身の上を話したが
引くことはなく、むしろ理解はしてくれた。それなのに、私は、大切な先輩を
裏切ってしまった。自傷をくり返し、自由に使えるお金の半分が、貝印や
処置代に消えた。自傷加工写真までupした。
5th. 大学3年 20-21歳
地獄行きの列車があったら、あいつ等を乗せて、旅をしたいなぁ。そんな
妄想から思いついた切符仕様。ブログを始めるも、陽・陰ともに毒舌モード。
流血を全面に出した出血スタイル仕様。封印していた、いじめ記録も少しずつ
解除。悦びも束の間、これ以上醜態を曝け出すことに、疑問を感じる日々。散々
悩んだ末、来る人拒まずのサイトも一転。お世話になった先輩ともバイバイして、
俺は俺なりに生きてくことにした。就職活動と自己の治安維持活動。これが最期の
更新と思い、敢えてテキスト色にしちょっぴり痛い系(遺体系)サイトに進路変更。
今まで培った「他人の不幸は蜜の味」精神を売りに、暗黒業界での就職をめざす。
2005年10月12日加筆
6th. 大学3年 21歳
ゼミで重要な仕事をもらい、こなしながらも、自分に自信が持てない。心配
ばかりかけ、困った後輩を演じ続けている毎日。あれほど距離を置こうと、
決めたのに、自ら崩れてしまい、早くも先輩や先生にカミングアウト。就職
なんてしたくない。生きたくなんか無い。嘆くばかりの自分に、嫌気が差す。
暗黒業界へのエントリーシートも書類落ち。そんな中、遠い後輩が鉄道自殺。
時を同じくして、グモ画像にはまる。死者に鞭打ってはないので、悪いことは
してないが、なんとなく申し訳なさを感じながらも、グモのチェックが日課になり、
生きる楽しさを見い出し始めた。さぁ、2006年。生きるか、死ぬか。殺されるか。
孤城鎖夜の嘆きはこれからも続く。血塗れの線路のように、どこまでも。
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